
セスの、どこの段階でもそうであっては、そこでそれぞれの仕事というのが成り立っていかないわけなので、そのことをここで図示してみたわけです。 まず初めに、左から順番にずっと考えていきますが、芸術家あるいは芸術団体というのがまずございますね。これは、芸術家は、個人の演奏家だとか、そういうものを指しています。芸術団体というのは、芸術家の集まりでありますオーケストラですとか、オペラ団ですとか、あるいは合唱団ですとか、そういうようなものを指しているわけです。 それに対して、下に文化施設(財団)と書いてあります。これは皆様方の所属していらっやるところになるわけですけれども、最近は第三セクターのような形で財団で運営していらっしゃるホールというのが非常に多くなってきていますので、財団という言葉がそこに書いてあるわけです。これが芸術における、つまり上の芸術家及び芸術団体というのがソフト、下の文化施設というのがハードだという関係になるわけです。 これが著しく我が国が欧米と違うところなんですが、欧米では、このソフトとハードが完全に一体化しているんです。ですから、芸術家及び芸術団体というところと、文化施設、つまりホール、これが1つのものになっている。たとえば、オペラ団をつくれば、オペラ劇場というのがなかったら成立しないわけで、簡単な話が、例えばスカラ座というオペラ劇場があれば、スカラ座というのは、オペラ劇場のハードを指すと同時に、オペラ団そのものを指すわけですね。ウィーンの国立オペラと言えば、国立オペラのハードとソフトを同時に指しているという形がヨーロッパでは当然なんです。我が国では、残念ながらそういう形にはなっていません。それは、やっぱり経済的条件だと思いますね。日本にオーケストラが移入された当時、日本はそれほど経済的に裕福な国ではありませんでしたので、そういうことが難しかった。 といいますのは、日本のオーケストラの歴史を見てみるとわかるんですけれども、現存の最古のオーケストラはN響です。そのN響ができたのが大正15年ですが、それより10年くらい前に日本ではオーケストラができています。それは一番初めは、財界というよりは、財界の音楽の好きな篤志家の個人だったというふうに考えていいと思うんですが、岩崎財閥の岩崎小弥太さんという方が、ヨーロッパの例に倣って、当時、山田耕筰さんをヨーロッパに留学させて、その山田耕筰さんを頭にして東京フィルハーモニー協会という協会をつくったというのが一番最初のオーケストラの動きでした。 このオーケストラ協会というのは、はじめは鑑賞団体なんですね。つまり、先に聞く人がいて、聞く人が、オーケストラをみんなで金を出し合ってつくろうじゃないかという形。
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